私は俳優、人生は夢芝居

 はたらくということ。
 子どもの頃ならいざ知らず、大人になれば誰だって嫌でも働かないと暮らしていけない。ロックスターからデイトレーダー、ガソリンスタンドまで色んな仕事があるけれど、多くの人はひとつ、ふたつの職場しか経験しないで人生を終えてしまう。
 それってなんだか、とてももったいないことなんじゃないのか?
 そんな風に思った私は大学を卒業するとき、天下の新卒カードを自分から破り捨て、社会と言う名の海に裸で思い切りよく飛び込んだのだ。

 あの頃はまだ若くて、それがどういう意味だか分かってなかった。就職活動すらする気配のない私に教授は心配そうに言ってくれた。
「まだ決まってないのキミだけだけど、なんならぼくが紹介して、大学の関連のところに入れるようにしてあげるけど」
 今考えると、なんて優しい教授だろうと思う。
 ろくすっぽゼミにも顔を出さず「レアキャラ」なんて呼ばれてた私に、教授はとことん甘かった。一週間で書き上げた卒論をAで卒業させてくれた。
 教授はその年が、教授生活最後の年だった。その心境は私にはまだ分からないけれど、何か思うところがあったんだろう。私個人にではなく「最後のゼミ生」に何かしてあげたかったんだと思う。それか、長い教授生活の中で出会った学生の中で私が最も不真面目だったとか?
 不真面目な私は神のような申し出を断って「バイトで食いつなぐんで大丈夫です! 今は舞台が控えているんで就活なんてしている余裕はありません!」と、答えた。
 教授は心配そうに、だけど破顔して「それは頑張ってほしいなあ。ぼくもお芝居は大好きなんだ。この前も劇団四季を観にいったよ」と言ってくれた。教授のイメージするお芝居と私のそれとに乖離がある気がしたけど、深く考えずに「がんばりまーす!」とか、言っておいた。
 あの頃は本当に、舞台のことしか考えていなかったから。

 お芝居の師匠が言った。
「この中で将来プロになれる子は、ひとりかふたり。ひょっとしたら一人もなれないかもと思うと時々、むなしくなるのよね。だけど、まあ、プロになれなくてもあんたたち、どこだか知らないけど会社に潜り込んでさ。毎日にこにこしながら仕事して、そん時思ってほしいのよ、あたし今芝居してんなあ、って。会社員っていう役をいま、演じてるって。家にいてもそう。あんたたち、いい奥さん、いい旦那さんになるよ。いいお母さん、お父さんになれるよ。そしたらあたしがこうして一生懸命教えてる芝居も、ま、無駄じゃあないってことよねえ?」
 師匠は最後の方、自問自答するみたいに首をかしげて、それからぱっと一段高い声を張り上げた。
「はい、分かったら今日もいい芝居、見せなさいよ! あんたたちほんっと芝居ができないんだから。ヘタクソだったら出てってもらうからね!」
 私たちは雁首揃えて「ハイッ」とバカみたいに叫ぶ。
 今日もたぶん、女の子がまた泣かされる。師匠の指導は厳しいなんてもんじゃなかった。地獄だってそんなこた言われないだろ、ってレベルの暴言がバンバン突き刺さってくる。
 それでも教えていただけるだけありがたい、って考えるような奴しか続かないから、女の子は泣くし男は怒ってドア蹴っ飛ばすけど、それでも師匠についてった。
 この中で将来プロになれるのはひとりか、ふたり。
 あの頃は師匠の言ってることもよく分かっていなくて「だけど私は負けない、プロになって大きな舞台に立たしてもらうんだ」なんて胸を燃やしてた。他の全員が同じ野心に燃えていた。

 師匠の言った通り、私たちの誰もプロにはなれなかった。
 だけどまだ忘れていない。
 新卒カードを破り捨てて、職を転々として時々引っ越しまでする私は、今までいくつもの職場を演じ抜けてきた。
 事務員、販売員、オペレーター、手配屋、便利屋、アルバイト。
 どこへ行っても初日から職場に溶け込めたのは、師匠が仕込んでくれた笑顔と「正しい」発声のおかげだろうと思う。
「はじめまして! 業界未経験で未熟なワタクシですが、一日も早く戦力となれるようがんばります。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
 事務所に朗朗と響く声で頭を下げれば温かい拍手で迎えられる。
 人生はいつだって一幕の芝居。
 台本はアドリブ。役どころは新入社員。
 テイク・ツーなんかない真剣勝負の檜舞台。
 真っさらな台本を渡されるときが一番ワクワクする。
 同じ演目ばかりじゃ飽きてしまうし、世の中にはまだまだたくさんのお芝居が用意されてる。あれもこれも演じてみたい。その役も是非、私にやらせて。そのセリフは是非、私に言わせて。
 これからの時代、こういう働き方がもっと増えていくと思う。国を越えて働いてる友だちだって珍しくないんだし。
 一社報恩なんて、今の時代に似合わない。
 十社以上も巡ってきたけれど、いちばん役に立ったのはやっぱり、師匠のご指導とそれで身に着けた「芝居」だった。
 ありがとう、師匠。あの時失意で去ったできのよくない弟子は今もまだあなたの芝居を守り続けています。

 

 さあ、光の中で顔を上げて。
 今日もまたどこかで、幕が上がるよ……。

 


(了)