私小説についての考えを好きなだけ述べていいですよ

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 ・私小説についての考えを好きなだけ述べていいですよ

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 ・ありがとうございますToTノ
それでは遠慮なく述べさせていただきますが、あの……引くほど長くて気持ち悪いので、全部読まないでいいですwwww

そもそも私小説というのはわが国ではなぜかジャンルとして確立している小説の一形態なんですが、これ、世界的に見て珍しいものではないはずなんですね。というか海外ではいちいちジャンルとして数えないくらい普通のものだと思います。

わが国は昔からなぜか物語のジャンル分けが好きみたいで、純文学などという区分けをしているのも、特色といえば特色です。海外では小説は全部小説だと思いますし、大衆小説とか中間小説とかそんなことも言わないらしい。

一回なんかよそからいらしたお方と(カタコトで)喋っていた時に「きみは何を勉強しているのですか」と訊かれていっしょうけんめい「リタラチャー! ジャパニイズリタラチャー!」と答えるんですがまったく理解されず(発音のせいではないはずです! 私は昔から猿真似はうまいのです!)最終的に

「インナワード、ブックス!」

 

で通じました。そんなもんです。いやいや専攻科目「本」て……つうか数学も物理も経済学も全部書籍で勉強するから本やがな。と思わんでもないですが、通じはしました(なるほど、詩とかお話とかそういうやつね、と展開した)から、そういうもんなんでしょう。

まて、話が逸れると字数がヤバい。ええそれで、私小説なんですが。わが国ではジャンル分けされてるくらいなので、そこそこ流行っているんですが、これが嫌う方もめちゃくちゃ多い。こんなもんは小説じゃねえ、くらいの勢いで嫌われてしまいます。

なぜそんなに嫌われるのだろうか。

 

というのがずっと私の優先課題なのですが、おそらくこれは「本当に実体験をそのまま書いている」と考えられているから嫌われるんでしょうね。小説である限り純度百パーセントの事実ということはありません。というか、何かを書くという行為がそも「ものごとにバイアスをかける」と同義なので、事実そのものではないんです。ただ事実らしく見せているだけです。

とすると他の小説となんら変わらず、なぜそんなにも好かれたり逆に嫌われたりするのかは、分かりません。

 

最近では、私小説に限らず「主人公」について考えています。古典作品をちょっと見ていただければ分かることなんですが、物語の主人公というものは基本的には「貴人」や「神」の類で「特別なもの」だから主役になれたはずなんです。ところが近代以降(だと思いますが)、「凡人」「普通の人」「むしろ並以下のダメ人間」などが主役を「やっている」という現象が見られます。

なので物語というものは「俺tsuee」なのが本義であって、「俺futsuu」では物語としては「ゆがんでいる」んですね。「主人公補正」とか言いますけど、主人公というのはそもそも「別格」であったはずなので、どちらかというとそっちの方が素直な物語でしょう。

と、すると。一体なぜ「普通の人」が主役に「なれているのか」?

 

これが近代以降の「小説」と従来の「物語」を分ける重要なポイントなんだろうなあー? というあたりのことを、うねうねと日々、考えています(うへあ気持ちわりぃ)。

普通の人が夫婦喧嘩していようと、失恋していようと、うまいもん食っていようと、どうでもいい話なはずなんです。
なぜどうでもいい話を書くのか、読むのか。何がどうしたら、どうでもよくなくなるのか。

この視点で読むと、わが国だけでなく世界各地の小説の半分が「なんやしらんおっさんの話」に見えてきます。そしておそらく、この視点こそが「私小説嫌い」と思う人の視点なのかな、と思うんですよね。

神の血筋でもなければ、スーパーサイヤ人でもない「ただのおっさん」の話なんかひとつも面白くねえよ、と。だって普通のことしかやらないし、普通のことしか考えてないんじゃないのか、と。

私小説の書き手としては、これは非常に重要な問題意識です。
普通の話を、普通に読ませる。
これが大事なところなのです。

そして私の知る私小説の書き手たちは、すでにそれができています。
果たして彼らは本当に「普通のおっさん」なのでしょうかね?
それを「筆力」とは私は呼びたくありません。ましてや「神」などと。
だって彼らが書いているのは「普通のおっさんの世間話」なのですから。

そんな風に考えていくと私小説って、ほんとに面白いですよねえ……!
私はこれからも私小説を読み書きしたいと思っています!

……つうかマジで長えな、私の話。人生を無駄遣いさせて申し訳ありません! もしここまで読んだ方がいたらの話ですが。

(まあお)