俺の小説を読まないで

「今さら何を言っても無理だから」
 ひどく尖った冷たい声で彼女は俺を見下(みくだ)した。軽蔑の色をありありと浮かべて、虫けらでも見るみたいに続ける。
「だいたいあんた、自分のトシ分かってる? もう三十四よ、三十、四! いい加減大人んなってよ。バッカみたいに夢なんか追いかけていないで、さあ」
「来年まで待ってくれよ……こないだ出した隅田川蘭歩賞の結果が出るから! これで落ちてたら俺、警備員でもトイレ掃除でもなんでもするから……!」
「くどい」
 俺の前では一度も吸ったことのないタバコをバッグから平然と取り出して、慣れた手つきで火をつけた。ついでに、スパァと俺に煙を吹きかける。
「あたしそれ、この三年間聞き飽きてんですけど? いい加減理解できない? あんたには才能が、ないの。ひとっかけらも、ね」
 それで俺も納得した。白濁の煙を素手で払いのけて俺は言う。
「そこまで言うなら別れよう! 隅田川賞の賞金はお前には一円も、やらん!」
「ハッ! 貰えてから言いなさいよね、そういうセリフは」
 もし貰えてたら慰謝料代わりに請求しますけど。乙女の三年間、無駄にした罪は重いわよ、このドクズ。と彼女は言った。
 俺は煙に弱いから、めそめそと泣きながら彼女がバタンと閉めるドアの音を聞いていた……。

 

 と、まあそれが先週のお話。転んでもタダでは起きない自称作家の白石獅子雄(本名同じ)は、それから一週間自室にこもってうじうじとヤケ酒をしながら考えた。
 このまま引き下がるだけでは単なるフラレ野郎でおしまいだ。だがしかし、俺には輝く才能がある。この右手に宿りし神の筆……そう、俺は自称作家! どんな経験もたちまち小説にしてしまうのさ!
「ごめんなさい、あたしが全部間違っていたわ。あなたってなんて才能があってイケメンでそのうえあっちもすごいのかしら、と。ふふ、うふふふ!」
 題してリベンジ官能小説大作戦! ヒロインの名前を先週別れた誰かさんの名前にして、俺はさっそくエロ小説を書き始めたわけだ。フラれた腹いせで写真だの動画をばらまくのは犯罪だけど、官能小説発表したら犯罪とはきいたことがないもんでね。
 ゲスい? うるせえ、三十路超えたアマチュア作家に性格のいい奴なんか、いてたまるもんか!
 俺は怒りにまかせてキーボードをぶっ叩き、連載小説の話数を重ねた。
 いやあ、快筆、快筆!
 いまだかつて、こんなにすらすらと書けた小説があっただろうか、いや、ない! 反語。これは反語表現だ、俺ってやっぱ才能あるわー、天才、天才。ぬふふふふん!
 勢いのままに更新していたウェブ小説の、ページビューがすごいことになっているのに気づくのに、二日ほどかかった。
 何せ、今まで真面目に書いた小説はいつもページビュー一桁が当たり前で、全然誰にも見向きもされなかったもんだから。
「うへえ? なにこれ、一日で千ページビュー超えた……だと?」
 座布団の上でひっくり返って天井に向かって大爆笑。
 みんな、好きねえ! ちょっとエッチなやつ書いたらこんなに人気が出るものなのか。それとも今まで気づいてなかっただけで俺ってそういう才能があったわけ?
 俺の小説「俺が天才だと分かったとたんに歴代彼女が押し寄せてハーレム化してきて毎日忙しすぎる件」は怒涛の快進撃を続けた。こうなってくると、俄然やる気も出てくる。やっぱエロは強いなあ! このまま出版社の目に留まって書籍化なんかしちゃったりして。苦節十数年、ついに俺も人気官能作家の仲間入り、ってか。ってかー! 令和の団鬼七先生なんて呼ばれちゃったりなんかしちゃったりなんかしてー? ああどうしよう、印税使い切れるかなあ。シシオ、困っちゃうー!
 と、ニッタニタしながら俺は書きかけの小説を保存して、外へ出る。
 作家たるもの、一日一度くらいは外にも出ないとね! あのバカ女にフラれてから、ほとんど他人と会話もしてないし。面倒だと思っても「袋いりますか」「いりません」「ウス。あじゃじゃしたー」という会話を繰り広げなくては、文明人とは言えないのだ。今週、中華まん全品百円セール(ただし高級まんは対象外)やってるしな。
 今日は何まんにしようかと思案しながらコンビニに向かう俺の頭上で「アーホー」とだみ声でカラスが鳴いた。まあ仕方ないよ、カラスだもん、そらあカラスの勝手だもんなあ、と阿弥陀並みに広い心で許した俺に

 

ビシャン

 

といやな感触がして、頭に手を当てたら見事命中していた。頭のてっぺんにカラスのうん……。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ、アーホー!」
 え? 何それもしかしてわざと? などと思わないでもないが、相手は畜生だ。怒るのも大人げないだろう。何せ俺は未来の人気官能作家様だからな。心の余裕が違うのよ、ゆとりが。ほらそれに、運がつく。きっと運がつくし、こんちくしょう!
 夕空に消えてゆくカラスの後ろ姿を睨みながら、肉まんもピザまんも売り切れていたから仕方なくあんまんを買って帰った。セール中に肉まん切らすとか、どんだけ無能なんだよ、あのコンビニ!

 

 風呂上がりにスマホで確認したら、またページビューが上がっていた。右肩上がりっていうかこれ、うなぎ上りってやつじゃない? いやいや飛龍昇天ペガサス上りじゃね? うっひょー! 超読まれてんじゃん、俺! 感想もついてるし! なになに「すっごい面白い」「続きが気になりすぎて夜と昼しか寝られません」「エロすぎるけしからんもっとやれ」だってさ! やっと気づいたか、白石先生の面白さに! 期待されてる。俺は今人生ではじめて、他人に期待されているぞ!
「もーしょうがないなあ、おまえら~! しょうがないから寝る前にもう一話上げちゃおっと!」
 カタカタとキーボードを叩き、ぽちっとな! 更新した瞬間からまたページビューが上がってゆく! 登場人物のユカリじゃないけど「いやん、こんなのはじめて!」状態だ。
 今夜はいい夢見そうだなあと思って歯を磨いていたら、どんどん! と玄関の戸がけたたましく音を立てる。
「はいはーい?」
「あっ、白石さん? 大家ですけど!」
 この家にはインターフォンなんてご立派なものはついてない。というか、そこの大家がつけてないんだ。
「こんばんっす、大家さん」
 歯ブラシをくわえたままの俺に大家が挨拶もせずにこう言った。
「あなたねえ、もう二か月滞納してますよね? 今月中には絶対払ってくださいよ、三か月までいったら、鍵、取り替えますからねっ? 入居時にそう取り決めましたよね!」
「あー……ええっと、ハイ。すんません。月末には必ず。ほんと払う気ありますんで」
「なかったら困りますよ! だいたい前も言ったけど、あなた家の前にモノ置くのやめてください。消防法……」
 またいつものお説教を食らって、俺はヘコヘコ頭を下げる。でもしょうがないだろ。お前のアパートが狭いの! 荷物が入りきらないんだよ。俺だって、入るもんなら全部家の中に入れときますよ。そもそも自転車置き場用意してないそっちにも責任があると思う。ゴミ箱と掃除用具も確かに外に放置してますけど。あとなんか捨てるのめんどくさかったガラクタとか多少溜まってはいますけども。
 三十分ほどわめいて満足したのか、大家が帰って行った。今日はカラスのうんはつくわ、肉まんは売り切れるわ、大家に文句は言われるわで厄日だなあ、なんて思うけど、寝る前にまた見たら俺の小説はますます読まれていたので、満足して、すぐ寝た。

 

 翌日はよく晴れたすがすがしい朝で睡眠が深かったのか目覚めもよく……と思ったら、すでに昼だった。
「え、なんで?」
 時計が電池切れだったようだ。ついてねーな。実際今何時なんだろうと思ってパソコンのスイッチを入れたら……あれ?
 ぷしゅう!
 最後っ屁みたいな音出してパソコンさんが沈黙する。画面、真っ黒。え、ええ? 叩いてもスイッチ連打しても、うんともスンとも言わない。どうもこれはご臨終くさい。いや、まあ確かに中古のパソコン……すでに何年使ったっけ? と記憶をさかのぼるが、思い出せない。少なくとも五年よりは前だ。とりあえずまったく反応してくれないので、手も足も出ない。
「ちっ、なんだよもう!」
 俺は机の上で充電していたスマホで現在の時刻とついでに小説の反応を見てみる。
「!!」
 今まで見たことないくらい、読まれて……なんと日刊ランキングで四位まできてる。快挙だ! この勢いを殺すわけにはいかないから、とりあえず今日はスマホから更新しよう。もうたぶん内容なんて関係ない。今なら、書けば書くだけ読まれる! 時代が俺についてきたんだ……!

 

 喜びつつも、とりあえず銀行へ行って金を用意しないと大家に怒られる。が、パソコンももう新調した方がよさそうだし、ついでに電気屋には寄ってみよう。中古のノートなら俺にも買えるかもしれないし。
 なんて思いながら自転車にまたが……え?

 

 外に置いておいた自転車のサドルが、カリフラワーになっていた。

 

 いやいやいやいや!
 確かにそういういたずらあるって聞いたことあるよ? でもなんで? なんでサドル盗むかなあ! もしかして嫌がらせ? 犯人大家じゃね? いやそれはないか、さすがに。サドル盗んで大家に一円でも得があるとは思えないしなあ。つうかなんでカリフラワーだよ、これでケツが支えられると思ってんのか? いやでもブロッコリーよりまだましか、ケツが緑にならず済んだ。
 じゃ、な、く、て!
 昨日から思っていたけど、どうもおかしいぞ、これ。
 俺はケツポッケからスマホを取り出して確認する。
 俺の小説の読者が、のべ一万人を超えていた。
「そんなわけあるかー!」
 まったく科学的ではないし根拠はないが、俺は察した。
 これたぶん、小説が読まれれば読まれるほど、俺が不幸になっていくやつだ!
「おい、読むな、もう俺の小説を読むんじゃないよ、お前らー!」
 なんか怖いし、もったいないけど削除しよう。そう思ってスマホから削除ボタンを押そうとした、その時。
 プワァン!
「バッキャロー! どこに目ぇつけてんだ、死にてえのか、こんにゃろー!」
 今時珍しいくらい荒くれたおっさんが軽自動車の窓から怒鳴りつけ、俺はぺたんと尻もちをついた。パリン。
 ……ぱりんとな?
「あああああーっ!」
 尻もちは別にいいんだけど、その拍子に俺の手から滑り落ちたスマホが地面に叩きつけられて、無慈悲なヒビが入ったようだ。
 画面だけならまだ、なんとか……と焦る俺の手から逃げるように通りがかった小学生の足が華麗にシュートして、スマホが道路へ躍り出る。
「うっそだろ……うそだと言ってよバーニィ……」
 タイミングよく一台のトラックがよりによって俺のスマホを轢き逃げしていった。普段この道、トラックなんか通らねえだろうが!
 駆け寄って救出した俺のスマホは、すでにガラス片と半導体の死骸になっている。
 なんという災厄!
「だめだー! だめだみんな、読むなああああああああ!」
 こうしている間にも俺の小説が読まれていく。次は俺の命が危ない!
 俺は泣きながら走った。手にはさっきまでスマホだったものを握りしめて。

 

「た、たすけて、苺ちゃーん!」
 蒼苺のドアを叩いた時には俺は頭からずぶ濡れになっていた。なぜか急にゲリラ豪雨が俺を追うように発生して、今はこのへん一帯だけ降っている。
「おいこら、居留守こいてんじゃねえぞ、俺だ、開けろ、蒼苺ーっ!」
 姫宮蒼苺は腐れ縁の作家仲間だ。こいつの家にもインターフォンなんて洒落たもんはついてない。
「なんだお前か。また借金取りかと思ったぞ」
 ぬっとなまっちろい顔を出した中年男性。これが姫宮蒼苺だと知ったら、こいつにわずかについているファンのおっさんたちは怒り狂うだろう。こいつは日本一性格の悪いウェブ作家で、そのペンネームが女に見えることを知ってて敢えてそう名乗っている。曰く苗字だから男に姫とついても仕方ない、だとか。嘘つけ、お前んちの表札田中じゃねえかよ。
 まあいい。今はこいつの助けでもいいから借りないと、危険が危ないんだ!
「苺ちゃん、ちょっとパソコン貸して。俺の小説削除しないと命が危ない!」
「すまん、いつにもまして言ってる意味が分からない」
 とスカしたセリフを蒼苺が吐いたタイミングで、ぐらんと地面がのたうった。
「ぎゃー地震! 小説の祟りじゃー! 死んじゃうーっ!」
 蒼苺が訝しげに、しかし何かを察して俺を部屋に入れてくれた。
「俺の小説が読まれすぎて宇宙の法則が乱れて世界が破滅に向かってるんだ! 特に俺めがけて危険が目白押しなんだ。とにかくあれを削除しないと死ぬ、だからパソコンを貸せ!」
「まったく筋は通っていないが、とりあえず使っていいぞ」
 さすが蒼苺、イヤな奴だが使える男だ。
 俺は蒼苺のパソコンから小説サイトにアクセスし……あ、しまった他人のパソコンだからこれ、パスワードが保存されてないじゃん。俺のパスワードどんなんだったっけ。
 思わぬ障害にうろたえながら、俺はこれまでの経緯を蒼苺に説明した。珍しく蒼苺が余計な口を挟まずに聞いているな、と思ったらぺらっぺらのせんべい布団の上でスマホを片手に涅槃のポーズでこんなことを言った。
「たまたまじゃねえの、たまたま。しかしすごい人気ってのは、ほんとみたいだねえ。ほら見ろ、ぐんぐん順位上がって、お前今、日刊週刊、両方一位だってよ。ランク急上昇ページで紹介されてるよ」
「うわあああああ、やめてえええええ!」
 絶叫した俺の耳に、蒼苺がつけっぱなしにしていたテレビの緊急アラートが突き刺さる。
「緊急速報をお伝えいたします! 北海鮮魚民主主義共和国からわが国に向けてミサイルが発射された模様です! 特に縦濱市付近にお住いの国民の皆様は速やかにシェルターに緊急避難してください。繰り返します! 北海鮮魚民……」
 さすがの蒼苺が目を丸くしている。
 俺は一応訊いてみた。
「苺ちゃん、核シェルターとか持ってる?」
「そんなもん、あるわけねーだろ! つうかなんでピンポイントにここなんだよ!」
 俺たちは蒼苺がろくに掃除をしないせいでうっすら埃で曇った窓から空を見上げた。
 さっきまで土砂降りだったはずの空は澄み渡り、遠くにピカッと何かが光った。

 皆さん、お願いです。
 俺の小説を読まないでくださ……

 


 


(了)