五分で殺して
あと五分の命だ。
かわいそうに。
俺はこの二週間ですっかり見慣れた窓に照準を合わせて、コンクリートの屋上にべったりと腹をつけてヤツを待つ。
個人的な恨みなんかは何にもないが、あと四分数十秒でヤツの額に風穴が開く。
今この瞬間、ヤツにとって俺は死神だってことさ。
ヒットマンという名の、黒衣の死神。
俺の唇が片方無音で歪んで、規則正しく心音が鳴る。ヤツがあの窓を開けるその時を、ただ静かに待っているのだ。
今回のターゲットは青木薔矢(あおき しょうや)という名の若造。
最近の若いヤツは名前からして仰々しくて呆れちまう。ホストじゃねえんだから、親も名付ける前に一度よーく自分らのツラ思い出してから役所に届けろっつうの。俺らの世代はマサオとかタカシとか、もっと平凡な名前をつけたもんだぜ。
ぱっと見ただのチャラけた会社員にしか見えない茶髪のこの男が、一体何をしてしまったのかは知らない。
殺しの理由は訊かないのが、この業界のルールだからな。
だが、政治家でもヤクザでも有名人でもない二十代の若者が標的というのは珍しい。若干の同情を感じないでもなかった俺だが、ヤツの生活習慣なんかを調べているうちに美人で巨乳の婚約者がいることが分かったので良心の呵責は消滅した。
なんだよこいつリア充じゃん! リア充爆発しろ! っていうか俺が撃っちゃる!
俺のプロフェッショナルな魂に火を付けちまったのが、ヤツの運の尽き、ってことだぜ。
青木の行動パターンは判で押したように正確で、変化というものがなかった。
たまにいるよね、こういうヤツ。丁寧な暮らしとかルーティーンとか言ってるけど、これ、うちの業界からしたらほんとラッキー以外の何物でもないから。
朝の七時に起床して七時五分に窓を開け、空を見上げて一つうなずき、神妙な顔で窓閉めて。ほんでもってその十八分後に玄関からスーツ姿で出てくる。月曜と木曜日にはビニール袋に入れたゴミを持ってくるので最大四分の遅れを生じる。
今日はゴミの日じゃないから、七時二十三分にいつものように出勤する、つもりなんだろう、ヤツは。
ところが二十三分まで生きちゃいねえ、ってわけよ。
自分の部屋の正面にある高層マンションの屋上から命を狙われることだってある。賃貸物件探すときにはせいぜい気をつけるんだな。ま、来世での教訓にでもしてくれや。
と、そこで俺は気づいた。
……あれ? おかしい。窓が開かない。時計を確認したら七時七分を過ぎていた。
ん?
今まで二週間、毎朝見張っていたが青木は土曜も日曜も一度だって、二十秒と遅れたことはなかった。鳩時計の鳩にだってなれるぞという几帳面さで七時五分に窓を開ける男がなんだって、今日に限って……遅れている?
まさか俺が狙っていることを知る由もないわけだから……たまたま、ほんとたまたま今日だけ寝坊したってこと? え、そんなことってあんの?
無表情の俺の額からつうと一筋汗が流れる。
……暑い。
クッソー、ヒットマンなら黒服という俺の美学がここへ来て仇になったか。まだ七時そこそこだというのに、太陽がさっきからジリジリ照りつけてて本気で暑い。
おいこら、青木! はよ出て来い! 俺はここで日の出前から待機してんだぞ。暑いんだぞ。この格好で熱中症なんかなって見ろ、お前……救急隊員が「はい?」ってなるわ。名前とか訊かれて保険証出した時点で俺完全に詰みやないかい! 俺だってなあ、俺だって国民保険はちゃんと入ってんだよ。
フリーランスの仕事はキツいからな!
組織に縛られたくねえ、なんて普段はニヒルに嗤って誤魔化しているが、殺しの仕事なんてそんなにホイホイ来るわけでもないのでこれは副業。本業は普通に日雇い労働なんだよ、こんちくしょ!
歳も歳だから、最近マジで腰痛ひどくて泣きそうなんだぞ。
現場ではヤクザ崩れだの家出してきた若いヤツらにイジメられてるし……クソ。ヒットマンの俺がなぜこんな目に、と思わなくもないが、仕方ないんだよ! 俺のヒットマンとしての実績が土嚢以下しか積まれてねえんだから、しょうがないんだよ!
っていうか、ついでだから言うけど俺、ヒットしたことないマンなんだよね。
十年以上この仕事やってんだけど、実は一件も成功したことないんだわ。そもそも仕事が今回で三件目という体たらくですしおすしお察し。
前回がなー。あとちょっとってところで見つかっちゃってさ。なんか今反射したぽくね? あっアニキ、あそこ見て見て、狙われてるっス! なんだと、うっわなんだあの怪しい男は! つーからもうダッシュで逃げたね! あん時のスリルったらなかったわ。これがもう半年前の話なんだけど、黙ってられなくて普通に今じゃ俺の滑らない話第一位だからね。いやー、九死に一生ってああいうの言うんだねえ、って大爆笑だよ!
だがそうそう何度も失敗してはいられない。
だから前回から半年と置かずに依頼が来て、これは起死回生の大チャーンスッ! とばかりに飛びついた。前々回から前回までのインターバル、普通に九年とかあるからね。
半年で汚名をそそぐことができるなんて、これは天からのお恵み! 地味に這いつくばって生きてる俺に対するボーナスステージ。絶対にモノにしないと、こんな幸運二度とないぞって思った。
んだけど、おーい、青木ー。空気読めよお前も! 何今日に限って寝坊とかしてんだよ、どういうことだよこれは!
ほんとなんなん?
暑すぎてなんかだんだんイライラしてきた。もう七時半ですよ、七時半。なんだあいつマジで。いやね、人間なんだから寝坊とか体調不良とかあるとは思うよ。俺も最近朝起きるのだるいし。気持ちは、わかる。
でもさー。
何も、今日この日に限ってピンポイントに寝坊はやめてくんない? 俺には計画っつうもんがあるのよ、わかって? それに俺、もうこれ以上ここで待機してたらぶっちゃけ脱水する。干からびちゃうって。
どうしようかなあ。これ、もう動いた方がよくない?
とりあえず玄関行ってピンポーンっつって、あいつ起こして、あっやべ寝てたわ助かりましたよ誰だか知らないけど起こしてもらってありがとあやうく遅刻すると……ズドン! いやダメだわこれ。見られるよ通報されるよ、着替えもないから秒で捕まるわこんなアカラサマに怪しい格好してたら!
じゃあ電話にする? 念の為っつってあいつの番号確か調べたんだよなあ。トゥルルルー、もしもし俺だけどお前寝坊してるよ、とりあえず今すぐ窓開けてね、って……怪しくない? その電話なんか怪しくない? ヒットマンつうかストーカーっぽくね? 窓開けずに通報されたら俺捕まるんじゃね?
こういう時ってどうしたらいいんだろ。とりあえずクライアントに訊いてみる? いやでも、なんて?
「……クッソ、全然わからねえ!」
と指先だけ出るタイプの革手袋のまま頭を掻きむしった俺に後ろから声がかかった。
「お困りですかね?」
「ファッ?!」
俺の後ろに立つんじゃねえ……つうか、誰だよ、なんでこんなとこにいるんだよ!
いつからそこにいたのか、ひょいっと軽い身のこなしで若い男が貯水タンクの上から飛び降りた。
見覚えのあるその顔。
「え……青木?」
「ようやく分かったかな? 僕もねえ、オジサンと一緒。殺し屋なの。あっ言っておくけどそれ偽名ね。薔なんて字、人名用漢字に入ってないからね」
ニタニタ笑いながらなんか言ってる青木(偽)の手元から俺は目が離せない。
「あ……あ……」
「ありえないって? う~ん、ゴメンそれはそうかも。僕のコードネームはブルーローズ。意味は……『ありえない』だからさ」
青木(偽)が向けてくる銃口が夏の太陽に照らされてまん丸く見えた。女みてえな小型銃。ジーパンのポケットに適当にねじ込んでたようなそんなもんで、俺は殺されちまうのか。
っていうか殺さ……え……殺されんの、俺?
嘘でしょ、いやマジで嘘でしょ?
混乱して何か言いたいけど喉渇ききってるからヒュウヒュウ音が漏れるだけの俺に、青木(偽)はちょっと肩をすくめてそれから何の躊躇いもなく、引き金をひいた。
あっけないくらい軽い破裂音。
ズンと胸に圧がかかって、熱いと思った。そしてしばらく遅れて鋭い痛みと我慢できないほどの吐き気。
「そんな、バカな……」
こんなチャラけた茶髪の男が殺し屋とか……胸を押さえてのたうちまわる俺の耳に青木(偽)のスカした声が聞こえた。
「アデュ、口の軽~い殺し屋さん♪」
最近の銃は硝煙の匂いなんか吐かない。
俺以外は何の変哲もない平凡極まりないマンションの屋上の、ドアがバンと音を立てて閉まった。
朦朧とする意識の中、灼熱の太陽と鉛玉の熱に灼かれて俺は思う。
俺はあんな若造にやられたんじゃないぜ。
時代という名の妖艶なヴァンプに……イカれちまっただけ……なの、さ……。
(了)